月刊「民藝の仲間」 2001年8月号

広津和郎と三好十郎……吉永仁郎

広津和郎が1953年(昭和28年)頃雑誌『中央公論』に発表した松川裁判批判の文に対して、劇作家三好十郎が読売新聞にチクリと皮肉の文章を載せた。広津が松川の被告達の文集を嘘のない文章だと言い、被告達の明るい顔や澄んだ目を犯罪者のものだとは思えないと書いたことをとり上げて、「40年間この人生の真実に肉薄する事を事業として来たリアリズム作家」にしては甘いのじゃないかという批判だった。誤解のないように一言添えると、三好はこの被告達を疑って真犯人と考えていたようではない。広津が文壇という古い体質の部落からこの政治裁判の舞台に足を踏み入れたことには好意を寄せていたようなふしもあるのだが、その上で広津のこんな直観的な物言いが三好には日頃冷徹なリアリストの目の曇りと映ったのだろうか。何しろ三好十郎という人は気に触ると相手構わず斬って捨てるその筆法の鋭さ厳しさは有名であり、相手が10歳年長の、同じ大学の同じ学科の先輩であろうと仮借ない。また一方彼は私達劇作をやる人間にとって一時代前の巨星で、とりわけ劇団民藝とは『炎の人』などによって縁の深い劇作家でもあった。

広津は彼に寄せられる非難中傷の数々を殆ど黙殺したが、この三好の批判に対しては、それが署名入りの文章であること、三好十郎という人に対してもっていた一定の評価から、朝日新聞に「甘さと辛さ」という反論を書いた。要約すると、被告達に抱いたそんな好意的な気持を甘かったと反省して彼らへの関心を捨ててしまうことが辛いことなのか。長く文章に携わってきた人間に向かって、他人の文章の真実やウソを感じないようにしろとは無理な注文だ。「40年間この人生の真実に肉薄する事を事業として来たリアリズム作家」は、他人の文章の真実というものに不感にならなければならないのか。それが辛さというものなら、そんな辛さでどうして「人生の真実に肉薄」できるのか。大体日本の文壇人は「甘さ」をこわがり過ぎる。「甘さ」を恐れてどんな「辛さ」をつかんでいるのか。人の顔色など気にせず大いにアマくもなり、カラくもなれ。――乱暴に縮めてしまった。

そしてこの後、広津は自分の当初の「甘さ」が最終の「真実」に帰着することを立証したのだった。

こんなことを書いたのは、広津を批判した人物の一人が他ならぬ三好十郎だからである。先述のように私の尊敬する劇作家であり、何よりも民藝ファンである読者の皆さんになじみの人だからである。この論争のあった年の暮に二審判決(一審判決同様の不当判決)が出るのだが、三好十郎は翌年草々に、「判決はまちがいです」と「これでよいのか?」を書いて判決を批難し、はっきり広津の側に立った。ただ最終の無罪判決を知らずに三好は1958年(昭和33年)に亡くなった。それが残念である。

月刊「民藝の仲間」 2001年8月号より転載(漢数字は算用数字に変えました)

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