どこにでもある父娘の話として……樫山文枝
昨年は休みなく舞台に立ちつづけた一年でした。『林の中のナポリ』『帰れ、いとしのシーバ』『十二月』『静かな落日』『海霧』と5作品に出演し、全国各地をめぐるハードな日程でしが、舞台を通して多くの出会いと喜びがありました。しかし、一方で東日本大震災や各地の記録的な豪雨などで多くの命と生活が失われました。原発事故の深刻な影響はこれからもつづきます。多くの被災された方々のことを思うと心痛む一年でもありました。
2012年は2月公演『静かな落日~広津家三代~』で幕をあけます。『静かな落日』は、父と娘とのおかしくせつない家族の絆を描いた作品です。父は松川事件にペン一本で挑んだ作家の広津和郎さん、娘は和郎さんを支えつづけた桃子さんです。私は桃子さんを演じます。
松川事件は戦後最大の冤罪事件と呼ばれ、広津さんは元被告の方から「広津先生がいなかったら死刑になっていた」と言われるのですが、それまでは娘の父親としてあまり褒められた人ではなかったようです。物心つく前に家をでてしまった父への不信、戦中は戦争協力をしようとしない父への憤り、戦後になってものが自由に言えるようなってもいっこうに仕事をしようとせず麻雀三昧の父への失望……。桃子さんはひたむきで、潔癖で、まっすぐな人でした。
ところが広津さんは60歳を過ぎてから法律という未知の世界に飛び込んでいきます。いまでこそ冤罪事件がニュースで報じられていますが、戦後すぐに広津さんが無実の若者たちのために裁判の公正を求められたことは大変なことだったと思います。戦前、戦中、戦後直後と父とのあいだに葛藤とわだかまりを感じていた桃子さんは、病身の父の裁判批判を手伝うことによって理解と愛情を深め、だんだんと和解していくのです。
父を受け入れていく娘の姿に「涙がこぼれた」と観た方々から言われるのですが、特殊な職業の父と娘との話ではなく、どこにでもあるような親子の関係として見ていただけるようです。このお芝居には日本人のもつ奥ゆかしさ、正直さ、誠実さといったものが生きているのだと思います。もっともっとよく演じて、人と人とがつながっていくことの大切さと喜びを感じていただければと思います。
『静かな落日』の初演は2001年です。これまで全国各地をめぐり193ステージを重ねてきました。この東京公演を終えたあとも、長野県や四国などを旅公演します。初演当初は、桃子さんを20代から演じますので、「そんなに長い間はできないわよ」と言っていたのですが……いつのまにか10年がたちました。広津さんが裁判批判をおこなった期間とほぼ同じです。広津さん自身、60歳を迎えてこれからどう生きるかという切実な問いかけがあったと思うのですけれど、私もお芝居を通して少しでも人のお役に立ちたいと願っています。(談)

